最近ようやく落ち着いてきたが、この前の大相撲解説で境川親方が「照ノ富士は張って掴まえるような相撲をしない横綱相撲で素晴らしいですね」などと暗に白鵬を批判するような内容を口にしていたことが気になり。私自身の考えを述べさせていただきたく思う。
白鵬に対する印象
私はいわゆる大相撲ファンであり、歴は定かではないが、貴乃花のことはあまり覚えておらず、その後の朝青龍が最強だった時代くらいから相撲を観ている。場所によっては結果だけ追ったり、毎日見る場所があったり熱狂的とは言わないが長期のスパンで安定的に好きな競技といった印象である。
この時期に相撲を好きになったので、私は大関時代の白鵬が朝青龍を倒せるほぼ唯一の存在であると感じ、白鵬のファンになっていった。はじめて、大相撲を見にいった時も白鵬の巾着袋をお土産に買ったのを覚えている。(弟は安馬から日馬富士になったばかりの日馬富士のものだった)
当時は無法者の朝青龍に対して、白鵬は日本人よりも日本人らしい横綱と呼ばれており、取り口に関しても最終盤に言われていたような張り手、かち上げが多い荒々しい相撲というわけでもなかった。
まずここで言いたいのは白鵬も最初から荒々しい相撲を取っていたわけではないということである。よく、白鵬は品格がないのに横綱に任命した横綱審議委員会が悪いということを持ち出している方がいるがこれは甚だ見当違いだと言いたい。何故なら横綱になる時点では品格、実力共に横綱にふさわしかったからである。上述のように日本人より日本人らしいと言われ、素行不良だった朝青龍と対比され人格も素晴らしいとされていた。
品格がないのに横綱になったという意見と同時に張り手やかち上げという手段ばかりしていたから最多優勝回数を更新できたのだという意見もある。確かに最晩年は張り手やかち上げに頼るような相撲も多かったため、もし、一切使わなければ45回という優勝回数は達成できなかったかもしれない。ただ、張り手、かち上げの多用は晩年になってから目立つものであり、最多優勝回数32回を超えた頃には目立つものではなかったと言える。そのため、回数は減っていたと思われるが、記録は更新していただろう。彼の記録更新はむしろ、朝青龍の早期引退を始めとするライバル不在が大きいだろう。
個人的相撲観
個人的な意見だが、盛り上がる相撲が好きである。引き技やあっさりと決着が付くことが多い押し相撲は好きではなく、四つ相撲の方が熱戦が多いから好みである。
会場がざわざわする取り組みという意味ではトリッキーなことをする小兵力士の創意工夫溢れる取り組みは最高である。
その意味で鶴竜のような引き技ばかりの相撲は見応えがないと感じていたが白鵬は立ち合いや技が多様で四つ相撲の熱戦も多く、見ていて飽きない横綱であったといえる。だからこそ長く応援し続けてきたのである。
相撲の伝統というものや精神性と言うものも勿論嫌いでは無いけれど、興行である以上つまらない取り組みは退屈であるので、白鵬のトリッキーな取り口も許せるのであろう。逆に伝統を重んじるファンの方が嫌うのもの理解できるのである。
白鵬の心中考察
思うに白鵬という力士はメディアの煽る様な悪人ではなく、割と単純な性格をしていると考えている。実際の巡礼や普段の稽古の姿を見ているとファンサービスも丁寧だし、面倒見もよい。家族思いのいい人である。彼はお客さんを喜ばせようと思い、勝ち続け、一本締めや万歳三勝を行った結果怒られてしまった。おそらく深い意味はなく、会場が盛り上がるのではないかとのサービスのつもりだったのだろう。オリンピックもモンゴルから来ていいよと言われたからその立場で行ったら怒られてしまったりと。もちろん、伝統を重んじればよくなかったのかもしれないが、ここぞとばかりに叩きまくる相撲協会の態度も呆れたものである。また、八百長や賭博問題で沈んでいた大相撲を強い横綱として支えたのも彼であった。しかし、彼は強くなり過ぎたが故に負けが喜ばれる様になった。負けて喜ばれる横綱はつまり強いという事なのだが、稀勢の里に負けた時会場から万歳三勝が起こった事は、非常に可愛そうな事である。白鵬は勝っても喜ばれないのかと思ってじった事だろう。
時に、横審の意見を聞き最終盤以外は張り差し、かちあげをせずに優勝した場所のことを覚えている人が何人いるだろう。白鵬のことを長く見ていれば、彼の苦悩と相撲のスタイルの変遷が分かる事だろう。しかしメディアや協会からの必要以上のバッシングがライトな相撲ファンにアンチ白鵬バイアスをかけてしまったのは残念だ。最初から嫌いな人が勝っても嬉しくないし、ましてや世間がズルだと叫ぶ戦術を使えば尚更の事である。
白鵬は最終的には勝ちにとにかくこだわる力士になった。歳を重ねて勝ち方にこだわれるほどの実力が失われたこともあっただろうし、勝たなければ地位を追われることになり、また勝っても負けても喜んでもらえないのであれば、勝つしかないと思ったこともあるのだろう。勝つのが横綱であると引退後白鵬は語った。振る舞いに賛否はあるだろうが幕内や三役で満足している様な力士には見習ってもらいたいものである。どうにも国産力士の何がなんでも勝ちに行くという気概が近頃は感じられない様である。あれ程勝ち星を積み上げた横綱が最後の最後まで勝ちにこだわっていたのだから。
かち上げ、張り手は禁じてか?
そもそもかち上げや張り手は禁じ手ではないし、歴代の横綱がしてこなかったというわけでもない。白鵬がここまで叩かれるのは強すぎるが故という部分も大きいと思われる。
個人的には見応えの部分で言えば引き技ばかり使っていた鶴竜も横綱らしからぬ取り組みでもっと非難されるべき内容だったが、本人がそこまで強くなかったから埋もれてしまったのだろうと考える。
張り手は他の力士もよくやっているし、もっとビンタのような張り手をかます場合もある中、白鵬の張り差しはそこまで強烈ではない。
一方のかち上げは白鵬のは肘鉄、エルボーといった類のものであり、あまり誉められたものではないだろう。このエルボーかち上げは元々大砂嵐が多様していたものだが、解説も「こりゃエルボーだね〜」と笑っていたが、白鵬がやり出すと批判されはじめたものだからそこらへんの公平性は担保しても良いのではないだろうか?
休場に関しても白鵬は休まない横綱であるという事実を知らないものも多い。横綱在位が歴代最も長いにも関わらず休場が混んできたのは最晩年のみであったし、フル出場すれば優勝するという点で実力面で横綱の責任を果たしていたといえるだろう。みんな甘いが稀勢の里の実力や休場の方が残念な部分は大きい。
白鵬の貢献
白鵬が言わずもがな相撲界に多く貢献していることを棚に上げてはならない。ご存じ白鵬杯の主催により相撲の裾野は確実に広がっているし、内弟子を育てることも現役時代から行なっている。大相撲が窮地の八百長の時期も一人横綱として矢面に立たされながらも活躍していた。モンゴルでも名家に生まれかなり大掛かりなプロセスを踏んでまで日本国籍を取得して、大相撲の発展の為に残ってくれたことも大きい。モンゴルの英雄が日本に骨を埋めるつもりで親方になったことを感謝こそすれ、批判するのはあまりの仕打ちだと感じずにはいられない。
白鵬のよくない点
私自身は剣道を長年やっていたこともあって土俵上でのガッツポーズはいただけないとは思う。
かち上げの中でもエルボーに近いものは危険ではあると思う。これは教会によるルールの改正等は必要だと思う。また土俵から降りずに物言いをつけるのも見苦しくはある。
勿論、悪い点も多くある横綱である事は認めざるを得ない。
まとめ
私は昔からの白鵬ファンであるから、かなり擁護的な評論になった。勿論反対意見があることも重々に承知しているが、いいところを見ようともしないで頭ごなしに否定するのは待っていただきたいと思うのである。今後も大相撲が盛り上がることを願っている。
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